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(視聴)

Since 2012.1.29

  • 契機

きっかけは何の変哲もない純粋な悪夢でした。

鬼が人を襲うと言う至ってシンプルな内容。

「切子抄」の原点はいつも通りと言えばそうです。

しかし、これまでと一つ違ったのは「イミ的な怖さ」です。

起きた事、その事実への畏怖、恐怖の本質・・・。

この作品では「恐怖とは何か」を模索していく事。

そう言った事を考えながらの制作となりました。

  • 題名

「切子抄」と言う題名はすぐに決まりました。

スーパーで売っていた辛子明太子の「切子」を見て即決(笑)

「イミ的な怖さ」として「切子」と言う漢字の並びが決め手でした。

人は例え無垢で無力な「」さえ、生きるためには「」る。

親が子を殺したり、子を戦地に向かわせたり・・・。

そんな現実を捉えるのに、この題名だと直感しました。

  • 模索

題名が決まった後、この「切子」を検索する事に。

理由は同じ題名の作品がないか探すためでした。

この時は「切子」が既にある言葉とは知らなかったんですね・・・(笑)

調べてみると、日本の伝統工芸である「切子細工」に辿り着きました。

この時点でこの作品の方向性はほとんど決まったと言えます。

透明な硝子に傷をつける事で柄や模様とし、傷はやがて装飾となる。

そんな幻想的で意味深い「切子」と言うワーズは不動なものと言えるでしょう。

  • 推敲

作る過程で、人の恐怖を探る為に「過去」と「現在」を考る事に。

かつての日本人は「」を畏れ、信じ、それと戦ってきたと思ってます。

ここで最も重要なのは「」が「何だったのか」です。

例えば、病気や飢饉は最もポピュラーな例です。

ある時は狂気に満ちた人、卑しい人、人を殺す人・・・行為や所業や容貌にも。

」とは何かを考えた時、それが「恐怖」と繋がっていきました。

私は「人が人でなくなる」と言う事が「」や「恐怖」の本質と捉えました。

  • 「鬼」とは?

過去に目を向けてから現在へ目を向けると、「鬼」は新たな側面を持ちます。

「鬼が来る」と言っても、子供は怯えませんし、泣く事もないです。

つまり、恐怖の象徴ではなくなったのです。

では、鬼はいなくなったのか?

そう考えた時に、単に現在はそれを「鬼」と表現しなくなっただけだと思いました。

同時に、今でいう「鬼」が何なのかを考え、「切子抄」へと発展していきました。

  • そして・・・

現代版の「日本昔話」それが「切子抄」だと思っています。

「日本昔話」がおもしろかったり、こわかったりするのはなぜか。

それは「ファンタジー」でありながら、「フィクション」っぽくない。

どこかでそう言う事が本当にあったような気にさせる所。

そして、もしそうならと思わせるところ。

そう言う作品にしたいと思いながら現在も制作中です。

作品は常に「どこか」の「だれか」の話し。

あったのか、なかったのかさえ分からないもの。

ただ、一つ一貫しているのは「人を食らう鬼」についてである事。

これは「ショクジンキの章」だからです。

様々なカタチで「人を食らった」ものや出来事が収録されている本。

そんなイメージで統率されているのが「切子抄~ショクジンキの章~」です。

かくして、この「恐怖」の本質との格闘を描く事になった訳です。

ある意味、その一連の作業も含めて「切子抄」なのだと思っています。

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